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ラピュタ(2)
友ヶ島 第3砲台跡
大きな大砲を島内のあちこちに備え、約600人の兵隊が駐屯する要塞となり、
第2次世界大戦が終わるまで一般人の立ち入りができなかった。
終戦後、砲台は取り壊され、大砲は処分されたが、
島には今も砲台跡や弾薬庫跡などがあり、
懐中電灯を持ってその中に入ることもできる。
(Hpより)
和歌山
2020/06/16
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ラピュタ
友ヶ島 第5砲台跡
明治政府は経済の中心地である大阪を守るため、
大阪湾口部である紀淡海峡周辺に強力な洋式砲台を設置することとしました。
友ヶ島には第1~第5の五か所に砲台が設置され、
明治23年(1890)〜明治37年(1904)に竣工しています。
北側の防衛を目的して設置された第5砲台と第2砲台は、
終戦後に爆破されていますが、全体として砲台の原型をよく留めており、
明治期の国防の姿を今に伝えています。
(Hpより)
和歌山
2020/06/16
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